先週は一身上の都合により、休載いたしましたが…クルトンジャーナル2回目。最近は本業の方もなかなかハードになってきており、ブログの執筆活動が思うように進まないのが悩みです。
また、取材をしに行く時間も中々とれなくて…。なかなか切ない。
さて、私が最近読んだあるテキストを紹介します。
5年後の秋葉原を歩く 第2回:“メイドさん”の現在と未来 (1/3)
http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/0705/03/news010.html帝都の方のメイド系の中の人たちが、秋葉原におけるメイド産業について語っているものです。
実際、秋葉原のイメージは「電気の街」がメインで、それに追従する位に「メイドの街」と言われている。実際、私も帝都へ年に1~2回ほど遠征レポ行脚するが、駅に降りた途端からメイド服を着た女の子がチラシ配りをしているのを見かける。
ただ、私がが初めて秋葉原に行った時は、まだメイド喫茶も市民権を得きってなかったから、メイドさんが外に普通にいるような時代ではなかったのだが…
今となっては、札幌在住の私であっても実はそんなに驚かないのだ。
そう言った意味では、確かに秋葉原は日本唯一のメイドの街なのかもしれない。地方メイド圏を見ていると、札幌を含む、他地域でもメイドさんはビラ配りしてるけど、やっぱりまだ浮いた印象です。
そして、地方もメイド喫茶を出店し売り出すときは”アキバ系”とか、”秋葉原で大人気”とか、”萌え~”なんてキーワードをよく並べ立てるほど、秋葉原ブランドは強いのは周知の事実。今でもそのブランドバリューは強い。
最近、秋葉原の街を歩いていると、メイド喫茶だけじゃなく、メイドリフレがかなり多い。
秋葉原で最初のメイドリフレができた日(2005年2月22日)、ちょうど私は秋葉原を歩いていたのだが…。まさかそれからたった1年で爆発的に増えるとは思ってなかった。今では…もしかすると同数くらいあるんじゃないだろうか。
またメイドバーも非常に増えてきた印象で、整体などの他のリフレ系も入ってきてるし、美容室とか、脱ヲターとか、占いとか、本当に多様化してる。
メイド系の派生形もかなり多く、男装、妹、魔女っこ、和装メイド…等、一体どこまで多様化するんだろうって思わされてます。
同時に駅前もかなり進化を遂げ、中央改札口ができてからというもの、だんだん高層ビルやオフィス街が立ち並んできていて、秋葉原も街の姿を変えています。
我が国の政府は、秋葉原を「世界的なIT産業の拠点」とする方針があるようで、この方針は良い影響をもたらした一方で、サブカル的なものが追放されつつあるような状況が垣間見えています。
私も本業はIT関連に関わる人間であり、そしてヲタコン(コンピュータオタク)であり、メイドスキーであります。秋葉原のパソコンショップが閉店したって話を聞くとちょっとさみしくなります。
さて、本題に戻しまして…メイド系は今後どうなっていくか?ということが、上記リンク先の記事に言及されているのですが、
秋葉原・くろすろ~どの店長は、コスプレの派生形(男装・巫女etc.)が出てきて、さらにそのバリエーションは増えていき、女の子と気軽に会話できるサービスも続くだろうと述べている。
中野・おぎメイドの店長は、メイド産業の本質は、ライトに女の子とコミュニケーションをとれることにあり、ガールフレンドとの会話を楽しむ色気やお金もさほど必要としない健全なサービスであると述べた上で、メイドという格好にはこだわらず、こういった本質は何らかの形で全国的に残り続けていくだろう・・・と言っている。
池袋・ピュアポップの店長は、メイド産業は”ミニキャバ”であり、お触り・お酒が不要で女の子とトークを楽しむものだと述べている。やはり、こういったサービス形態は残り続けていくだろうとしている。また、メイドという付加価値はもはや、飽きられてきており、質の高いサービスが伴わない店舗はおのずと淘汰されていくだろう。 と述べている。
メイド産業の本質は、ミニキャバ的で、健全なコミュニケーションサービス・・・
現在のメイド系を見ていると、確かにそうとも言える。メイド喫茶におけるコミュニケーションサービス(会話・ゲーム・チェキ・カラオケなど)はもはや不可欠の要素となりつつあるのは否定しない。
ただし、それぞれ好みはある。それが好きという人もあれば、それは必要ないという人もいる。いわゆる
”文学少女的メイドスキー”なんて言葉を最近思いついた位で、中にはそっとしておいてくれと…とコーヒーでも飲みながら、静かに本を読んでいたい人達もいるのだ。ま、そういう人は・・・普通の喫茶店に行けばいいと言われて、少数派は追いやられるのが世の常ですがね(笑)
最近は文学少女的メイドスキーに優しいメイド系は・・・もはや全国的に稀少価値なのかな?
ただ、”質の高いサービスが伴わない店はいずれ淘汰される”というのは、間違いないと思っています。今はまだ惰性で流行ってるに過ぎず、すでにブームは沈静化の方向に進んでいると私は見ています。
質の高いサービスが伴わないお店において、お客さんがお店に足を運ぶ理由はお気に入りのメイドさんがいるっていうだけの動機である事が多く、そのお気に入りのメイドさんがいなくなると、そのメイドさんについていたお客さんが居なくなるなんて事もあるわけですね。
そんな現状をみていると、いかにお店に愛着を持ってもらえるか?というのが、どうやら生き残りのカギではないか?と思えてならないわけです。
その1つの答えが、質の高いサービスを提供すること。お店に行くとなんか色々と満たされて帰ってくることができるのが大切。
もう一つ、質を高く保ちつつ、サービスを均一にすることも…。
レポ書きのいやらしい癖のようなもので、何気ないふりして・・・メイドさんの動きとか、接客を注意深くみてしまうのですが、よ~くみてるとやっぱりメイドさんの接客スキルにバラつきが見られることがあるのです。
コミュニケーション面だけ見てると、どのお店も比較的優れているんですけどね。カフェや飲食店としての基本的なお仕事がどれくらい達成できてるか?は別次元だったり・・・。
会話が主目的なら、そんなに気にならない要素かもしれない。
そうなると私が四の五の言ったことじゃないので、別にかまわないのですがw
私はわがままな生き物なので、基本的な達成度も求めちゃうわけです。
何はともあれ、コミュニケーションも結構。今さら原理的なメイド喫茶のあり方や正統派論を振りかざす気もないし、私も楽しい事は好きだし、面白い話を聞かせてもらうと元気が出る。ただ、やっぱり基本はしっかりして欲しい。
メイド系のお客さん達は紳士なのか、レディファーストなのかよく分らないけどみんな優しい人達ばかりだから、多少のこと(場合によってはかなりのこと)には目を瞑ってくれるんだが、ぜひともそれに甘える事無く、質的なサービスの向上に努めて頂けると、もっと未来は明るいのに…と思う今日この頃であります。
さて、札幌の5年後は・・・どうなっているのでしょうね。
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