日本初メイド検定に60人、38歳も受験(日刊スポーツ)
http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20071014-269577.htmlこの土曜日気になったのは、メイド検定3級の様子であった。私がこの業界に携わって4年半、そして初めて設立された業界団体である。
残念ながら、私は北海道という土地に住んでいて、秋葉原の情報は遅れて入ってきます。だから、とりあえずはメディア解説から。
「正しいメイド」としての知識や技能を認定する日本初の「メイド検定」が実施されたとあるが、”正しいメイド”ねぇ・・・私は色々なメイドさんを見過ぎているせいか、何が正しい形なのかがわからなくなってきた。もちろん私が考えるメイド像ってのはあるんですけど、その考えが必ずしも隣人に当てはまらない事はざらにある。
メイドとしての知識や技能を認定するならわかるんだけど、この団体が考えるメイド像に一致しないメイドは”正しくない”のか?
私はそうは思わない。
メイドとしての正しい接客マナーや歴史、「奉仕の精神」の知識などを協会の専門家が約2時間講義したとあるが、専門家ってどんな専門家なのでしょうか?
公式サイトを見る限り、理事会メンバーおよび法人会員には、メイド系の直接の専門家はいなくて、メイド業界に絡んでいる方々がいるに過ぎないような気がしている。よって、どのような教育がなされたのか?私はそこに疑問を感じる。情報が閉鎖的すぎるため、第3者評価ができない検定となっている。
団体が認める知識は、はたしてリアルメイド系に通用するのか?各店の経営者はどのようなカリキュラムを受けて合格したのかを知る必要がある。検定はどのあたりまでを教育しているのかを公開しない、検定なぞ聞いた事がない。
能力の程を公開しなければ、せっかくのメイド検定も周囲に認められないだろう。本当に価値ある人材を認定しているのか?そこのところ、業界団体ならば理解すべきだ。
法人会員を増やしていくためにも、まずは情報を公開すべき。それが私の断固たる考えである。
さらにセミナーや試験において、今の日本のメイド文化ではなく、19世紀のイギリス・ビクトリア朝時代のメイド文化を正確に伝えようとしていたと書いてあるが、今の日本のメイド文化をなぜ無視しますか?”日本のメイドさん”という考えを無視して、19世紀の英国メイドの話をするのか・・・原理的な精神を伝える事も重要だが、検定は実務を積むためのものならば、思想的なものは背景知識として教育すべきじゃないか?
仮に、この女性の印象とは別に実際のセミナーでは日本のメイド文化もきちんと触れていたとしても、19世紀メイドのホスピタリティが必ずしも、現代日本のメイド文化をリードできるとは限らない。
19世紀のメイドと、現代日本のメイドの決定的な違いは・・・時代背景とお国柄です。
日本メイド協会はコスプレ情報雑誌「COSMODE(コスモード)」大門太郎編集長を会長として、メイド関連店経営者らが中心となり、初の業界団体として設立されたと書かれているが、メイド関連店経営者は、キャンフルだけじゃなかったか?
という突っ込みはまぁ・・・もういいやw
P.S.(プレ捨て):
19世紀ヴィクトリア朝のメイドについて・・・私の見解。背景としてメイド検定で教えられた内容が必ずしもこれであるかどうかは不明。
最初にヴィクトリアンメイドがメイド像のスタンダードとされる理由を概説する。まず、ヴィクトリア朝(正確には、ハノーヴァー朝ヴィクトリア女王時代としないと歴史学者に怒られる?)の時代である19世紀において大英帝国が全世界に与えた影響力に関係するとされる。イギリスは階級社会であり、上流階級(また、場合によっては中流階級もか?)が労働者階級を雇うのが流行りでもあったため、執事やメイドってのはそこで大きく世界に広がりを見せたという背景がある。
俗な言い方をすると、労働者階級を雇っていることは、階級の高さを象徴することでもあった。
19世紀までもその仕組みはあったが、女性使用人が増加したのがこの頃だとされる。理由は、メイドの方が労働賃金が安かったから。1777年、アメリカ独立戦争後の使用人税がその動きを加速させた・・・というのが19世紀の背景にあったようである。一般に有資産・不労所得者となっている上級階層の人は、労働を下級の階層の人達にさせることで、遊惰・・・つまり遊ぶわけです。奥さまは働いちゃ駄目です。遊びつつ、メイドたちを監督せよ。自ら動く事は世間から見れば恥ずかしいことです。メイドを使いましょう。
----------働かずに遊ばないと負けかなと思っている。
って意識かな?(←違うかw)
だから、メイドを雇ってないと、社会的には労働者階層ってことになるわけです。小学校でいえば、
-------おまえん家、メイドいねーのかよー、だっせー。びんぼ~♪びんぼ~♪
って子供がいぢめられたりします。(←急に俗な表現になっちまったなw)
メイド服についていえば、今のような華美なレベルではない。メイドの中でも階級があったという歴史的記録が残されている。少々ボロい服を着て家の隅っこで働くメイドもいれば、玄関・客間などで客人をもてなす仕立ての良い制服(メイド服)を着るメイドもいたとされる。
一般に客間を担当するメイドを”パーラーメイド”という。現在のメイドさんの位置づけは、ヴィクトリア朝のパーラーメイドに近いといえる。
それにしたって、華美なデザイン、装飾はあってはならない。(黒地が基調となる理由の一つ)生地の質もメイドなんだからクオリティ。だから、今の日本メイド服は相当高級と言える。ゴスロリ風メイド服は、ファッションとしてのアレンジが強くかかっているといえる。原理的にはヴィクトリア朝メイド服とは、そういうものなのだ。
時代背景はこんなところ。メイドはあくまでも下流の労働者なのである。下流の者たちに興味を示さない。身分が違うのだ。ご主人様はメイドに萌えるとかってレベルじゃーねはずだ。
まだ奥さまにいぢめられるメイドの方が想像しやすいねw
(↑昼ドラかよwww)
それが、今のメイド系に適用できるんかな?って考えるから私は
---------原理的に、メイドさんはメイドになりえない。
としている。メイドさんが目指している所は、メイドではない何か。ミーハー気分や憧れだけでメイドにはなれない。社会身分差による労働。そんな時代のホスピタリティが必ずしも今のメイド系に通用するのか?私はそれがいささか疑問である。
もう一つ、この理屈で言うと、本物のメイドはメイド服じゃ外には外出しないことになる。使用人である事を触れまわって歩き回っているようなものだからだ。メイド服着て外を歩いている時点で、ヴィクトリアンメイドにはなれない事になるが、まぁ、結局突っ込むとキリがないですね。ハイ。
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