遅ればせながら、新年のご挨拶を申し上げます。
本年もよろしくお願いいたします。
狂豚調査団 記者クラブ クルトン
今年に入ってから本業がかなり忙しくて、メイド系巡りもまともに出来てないという体たらくで申し訳ないのですが、、、
(元日にめいど模擬店へ、12日に桜っこランチへ行ったくらいでしょうか?)
さて、新しい年になったので、少し変化球的な観点で小話でもします。
タイトルで
「メイドカフェは、割とメイドカフェーである。」
なんてよくわからない事を口走ってしまいましたが、これは、カフェーという明治時代にあった特殊喫茶と呼ばれる業態の事をさします。
カフェーとは、
時は明治44年。日本最初のカフェーと言われる「カフェー・プランタン」というのが銀座に出来る。ここは、文学者や美術家などの社交場であった。パリのCafeをモチーフにした物であるが、女給(今で言うウェイトレス)が居る点が日本独自のカフェーだったそうだ。ただし、このような敷居の高いお店が一般化し、まもなく女給が売り物になる大衆向けのカフェーというものが登場したらしい。この女給は現在で言えば、ホステスのような役割を果たしていたとされる。
後に、カフェーは特殊喫茶として警察の管轄下に入る。
そのカフェーと違い純粋にコーヒーを売りにするお店という意味で”純喫茶”という呼称が出来たとされる。
(参考文献:Wikipedia ”カフェー”)
どこかで聞いた事ある話だなーと思って、コレにそって文章を作ってみました。
私がメイド喫茶ってものに興味を持ち出した頃は、メイド服を着たウェイトレスがいて、”文芸的な人”だったり、”アーティスティックな活動”をしている方などが、買い物後の休憩に使っていたり、”サークル活動の相談や情報交換”をしたりするような場所というイメージがありました。(自分もまた近いような使い方をした覚えがあります)そういう意味では、本当に初期の頃だと、一般の人たちには敷居が高いお店だと思います。
その後、大衆向けの”メイド萌え”を売りにするメイドカフェーが登場。全国区の例によれば、特殊喫茶扱いで警察公安委員会に管理されている場合もあると聞く。
大衆向けのメイド萌えと違い、純粋に喫茶である事を売りにするお店として”正統派”という呼称が生まれる。 部分的に無理はありますが、これはちょっと昔のメイドカフェと、現在のメイドカフェの事情を織り交ぜてみたものです。
97年ほど前のカフェーの話が、現代日本のメイドカフェに当てはめられた事はちょっとすごいかもと思ったりして(笑)
そういえば、以前にプリムの元マスターから聞いたのは、
「本社で初めてプリムの制服を見た時、懐かしいと思った。」
という話。マスターの年齢的には、90年以上も昔の事を言っているわけではないと思うけど、自分が生まれるよりずっと前にも、同じような制服があったということである。
現在、その当時に近い意味で、そのデザインの制服を見られるとすると、狸小路2丁目にある銀座ライオンの制服。僕が最初見たときは、メイド服と見間違えたくらい。あとは、函館に行けば必ず立ち寄りカレーライスを頂く、五島軒とか・・・。
ま、流行というものは、長い時を超えて、形を変え、人を変え、業態を変え、輪廻していくものなのかもしれない。
さて、次にメイドカフェっぽいものが現れるのは何年後か?僕はその時生きているかな?くたばってるかな?
それとも、おじいちゃんになって、
「ああ、なにもかもがなつかしい・・・」
と言っているかなぁ?
未来は誰にもわからない。それを見ていく事を、老後の楽しみにしようか。
あ、その前に、今のメイド系を見つめていかなくちゃね!
今年もよろしくおねがいいたします。
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